2020年6月25日発行
「飛んでけ!車いす」の会代表の吉田三千代です。
このたび、メールマガジンを始めることになりました。会報誌「とべとべ」(3カ月おき発行)の合間、1カ月半〜2カ月ごとに会の近況をお知らせします。このメールマガジンは会員の皆様や名刺を交換した皆様に送らせていただきます。
◆「飛んでけ!」の今
▼新型コロナウイルスの影響で、海外に車いすを運んでくれる旅行者が3月の2名を最後に途絶えました。新たな申し込みも皆無です。でも、「空が駄目なら海があるサ」ということで、札幌と苫小牧からタイ、カンボジアへ船便で物を運ぶコンテナに便乗させてもらう形で4月から5月にかけてタイに2台、カンボジアに10台を送り出すことができました。ご協力いただいた札幌のリサイクルショップ「モノココ」( http://mono-coco.com/maruyama/ )の湊源道さん、苫小牧の「萠運輸」( http://moeunyu.co.jp/ )の近澤洋太さんに感謝します。▼毎週火曜日の整備班も3月末からお休みしていましたが、6月からは世の中の様子を見ながらぼちぼち再開中です。
◆コロナ対策
事務所には消毒液やマスクを準備し、フェイスシールドもせっせと作成したりしています。
7月からは、一般市民に整備技術を伝え、新たな社会的事業への展開も見通す「車いすの学校」(第2・第4土曜日午後)も復活予定です。
◆「飛んでけ!」ボランティアの紹介 ①上杉祐介さん
「飛んでけ!」の活動は多くのボランティアに支えられています。
貴重な時間と労力を会の活動にささげてくれる皆さんの横顔をリレー方式で自己紹介してもらいます。最初は、このメルマガを作ってくれた上杉さんにお願いします。(吉田)
はじめまして。5月から「飛んでけ」でボランティアをしています上杉です。
今年の3月までJICA海外協力隊としてアフリカのマラウイに派遣されていましたが、コロナウイルスの世界的な感染拡大によって一時帰国しています。
これまでも「ビッグイシューさっぽろ」で長くボランティアをやってきていましたが、今回帰国することになり、以前から活動が気になっていた「飛んでけ」の活動にもボランティアとして参加することにしました。
私は介護の経験はなく、車いすを利用する家族や友人などがいるわけではないので、毎回色々な知識や刺激を頂きながら活動しています。IT業界で長く働いていましたので、その知識や経験を利用して一台でも多くの車いすを、必要としている人たちへ送れる手助けをしたいと思っています。
◆「飛んでけ!」~あのころ、そして今~①
「飛んでけ!」は発足して23年目。振り返るといろいろな歴史があります。
まずは会の誕生の話から。
1997年の暮れから98年のはじめごろ、当時北大生の柳生一自さんと、アジア各国を旅していた吉田三千代が前代表で障害のある佐藤正尋さんの紹介で出会いました。柳生さんは大学サークルで車いすをインドとベトナムに運んだノウハウがあり、吉田は旅先で車いすを必要としている人たちに接して「何とかしたい」という思いをつのらせていました。二人で話し合ううちに「旅行者が手荷物の一部として車いすを運ぶ」という、当時としては斬新なアイデアと吉田がアジアで培ってきた人脈が結び付き、1998年5月に「飛んでけ!」車いすの会が誕生しました。初代代表は柳生さん、吉田は事務局長に就き、事務所も吉田の自宅というささやかな船出でしたが、活動内容のユニークさや現役大学生が代表になった珍しさなどから新聞やラジオで報道され、会は順調なスタートを切りました。(吉田)
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